南 壷谷・著 若松 實・譯(発行所:日朝協会愛知県連合会)
扶 桑 録(下) 江戸時代第六次(明暦元)朝鮮通信使の記録
作成年(西暦) | 1655年 |
年号 | 明暦元年 |
文章カテゴリ | 江戸時代第六次(明暦元)朝鮮通信使の記録 |
執筆者 | 南 壷谷・著 |
宛先 | |
備考 | 若松 實・譯(発行所:日朝協会愛知県連合会) |
八頁
@辰の刻(午前八時)に出発、威儀を整え軍楽で先導して進んだが、一行の上下の人達が一里に亘った。一つの大橋を過ぎて暫く實相寺で休憩し冠帯を整えて進んだ。五層の楼塔が望見されたが即ち倭京の東寺である。
@此処からは左右に人家が連続して絶えず、見物の人は皆路傍に脆座しており、使臣が通過する時に年老いた女人達が合掌して祈る人が多かった。倭京に段々近付くと人々で甚だ賑わっており、群がって林のように立っており、地を埋め橋にも溢れ、或るいは着物の裾を持ち上げて水の中に立つ者もいた。
@小児たちは人の首を肩に跨って見物する者も多かった。幾つもの路地や大通りは大坂と同じであり、家屋の戸数は大坂には及ばぬようではあるが、観光の盛んなことは遙かに過ぎていた。市場の中に鬚を蓄え高い冠をかぶった人が居るので尋ねると、漢人(中国人)で江南の地から乱を避けて来て暮らす人が多いことを知り得る。
@未の刻(午後二時)末に館に着くと、館は即ち本国寺であった。寝所が高い机の上に設けてあるので尋ねると、元来仏像を安置した場所であり使臣のために仏像を移して寝所を設けたとのことで、其の尊敬する意を知ることができると同時に頗る心安からざるものがあった。
2012.07.22 住職筆
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