本日、妙満寺で降誕会がありました。降誕会に出仕するために、岩倉まで行って参りました。 妙満寺は、現在顕本法華宗の総本山となっております。 妙満寺全景(左に大きな仏舎利塔があります) 実は、妙満寺には松永貞徳ゆかりの庭があります。松永貞徳が作庭したものに、「雪月花の庭」があります。 ここ妙満寺には、三庭のうち「雪の庭」があります。 雪の庭:松永貞徳作 雪の庭 雪の庭 本日は、本当に寒い中での降誕会でした。さすが、「雪の庭」というだけありました。 合掌 writer:若ボン
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佐原 弘
私の生誕地の静岡県湖西市吉美には、妙立寺があります。この寺は別格本山で一山を境内に持つ大きな寺です。少年期はここを遊び場にし甘茶を呑んだり、境内で盆踊りをした思い出があります。徳川時代は、開幕以来徳川家の祈願寺となっており、寺領76石を給わり葵御紋を許されました。吉美川尻村は、妙立寺を囲んで農家が立ち並び、周辺に水田等耕地や小山が広がり浜名湖は近くにあります。吉美郷には、とても多く佐原氏が住んでいます。本家・分家で別姓家も縁者であることが多く、その総本家は五右衛門を代々世襲して、檀家総代(檀頭)を務め今に至っています。寺は、湖西市役所すぐ近くにあり檀家も増えているようです。 妙立寺の開基日什上人は、「門徒古事」にあるように、市川と京都を三度行き来し、磐田の玄妙寺と妙立寺をたてましたが、上京の都度吉美郷川尻に立ち寄り、開基旦那衆となった佐原氏や新所の内藤氏らに会うことを楽しみにしていたようです。上人は葦名の縁者で佐原は一族です。このこともおおいに恃んだと思われます。
永禄11年徳川家康は遠州に進攻し、自身は湖北井伊谷から浜松城を攻略しましたが、湖南の支隊本多軍は妙立寺に本陣をおき、今川の堅城宇津山城を落とし家康公を支えました。このゆえ、郷士佐原氏は幕臣になったが、妙立寺の護持に腐心し、始祖義連が末子であったことをもとに、家督を末子に定め、江戸時代を経て現代に至ったようです。ちなみに、明治期良三郎が改名し『五右衛門』を称した記録が湖西市役所に残されている。今週にも妙満寺を訪ねたいと思っています。