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るふ205秋彼岸号完成しました!

るふ205秋彼岸号に上鳥羽實相寺を載せていただきました。表紙には實相寺の薬医門と本堂全景、裏面には「縁起」・「ここが見どころ!」が載っています。
檀信徒の皆様には、秋季彼岸会法要のご案内ととも『るふ205秋彼岸号』を送らせていただきます。

るふ表紙
るふ表紙

 

 

 

 

 

 

 

表紙の寺院

實相寺(京都市南区上鳥羽鍋ヶ淵町10-1)

【實相寺(じっそうじ)】の縁起

 近鉄京都線上鳥羽口(かみとばぐち)駅より西へ徒歩15分の辺りに實相寺があります。山号は「正覚山(しょうかくざん)」、日像(にちぞう)上人の弟子、大覚大僧正妙実(だいかくだいそうじょうみょうじつ)上人によって南北朝期に開創されました。寺伝によれば、南朝正平七年(1352)の夏、大干ばつの被害に見舞われたとき、妙実上人は勅命をうけて山城国桂川のほとりの鍋ケ淵に於いて、数百人の僧を率いて請雨のご祈祷を行いました。効験が現れたことにより、天皇より日蓮聖人は「大菩薩号」、日朗(にちろう)上人・日像上人は「菩薩号」、妙実上人は「大僧正」の位を賜りました。当山はそのご祈祷された場所に創建されたと伝えられ、『開基妙実上人の勅願祈雨の旧蹟』ともいわれております。
 
 慶長元年(1596)に行われた豊臣秀吉の千僧供養への出仕の是非をめぐって、日蓮教団は二派に分裂する事態となりました。結果、当山はその影響を受け、約50年もの永きにわたり、衰退することとなりました。その後、次第に復興し、江戸時代には中本山格となり、塔頭4か寺を構えるまでになりました。

 明治8年、大水害を受け、それまでに残っていた全ての塔頭が消失し、難を逃れた当山のみとなり現在に至ります。

 また江戸時代の俳人、松永貞徳ゆかりの寺としても有名で、その墓が当山に安置されています

るふ裏面
るふ裏面

 

 

 

 

 

 

 

*ココが見どころ

「點頭宗祖日蓮大菩薩(てんとうしゅうそにちれんだいぼさつ)」
 本堂ご宝前の右側には、通称「うなずきのお祖師(そし)さま」で有名な「點頭宗祖日蓮大菩薩」がお祀りされています。
 上記の縁起にあるように、請雨のご祈祷を行った妙実上人は、ご祈祷に先だって日蓮聖人の座像を作り、そのお像にお伺(うかが)いを立てられたところ、三度うなずかれた(點頭)といわれています。
 この「うなずきのお祖師さま」は1年に1回、11月10日のお会式でのみご開帳(13時~17時まで)され、そのあらたかな霊験に触れるため、檀信徒や参拝者が多数訪れます。

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