@本日は、雨降りのため図書館執務室の整理掃除を行った。古い写真が見つかると「この写真は?」と考え込み、オッこんな本があったのかとページをぺらぺらめくりしていると、作業は遅々として進まない。
その中で「同人誌『ヒッポ千番地』 No.3 2000 June」を手に取ってみると、特集として『貞門俳諧の発見』が組まれており、坪内稔典先生が評論「貞門俳諧の魅力」と題して書かれている小文を見つけた。
貞門俳諧の魅力
坪内 稔典
あるとき、松永貞徳が集まりを早退しようとした。すると、その家の主人が、見事な柿を持ち出し、「これに発句せずば帰さじ」と言った。貞徳、即座に
かきくけこくはではいかでたちつてと
と応じた。@「柿を食べないでどうしてここを発とうか、食べてから帰るよ」ということを、五十音を用いて表現した機知の句だ。
@貞徳は貞門俳諧の首領(ドン)だが、この人の実力は、このような見事な機知の発揮によく示されている。
@発達史観とも言うべきものがあり、俳諧史は貞門、談林、蕉風というように発達的に展開したということをよく見聞きする。だが、それは疑ってよい。貞門には貞門の、談林には談林の、そして蕉風には蕉風の長所と短所がある。つまり、それぞれに固有の長所と短所があるのだ。
@貞門俳諧の長所の一つは、さきのような機知である。別の言い方をしたら、謎解きの言葉遊びを五七五音の韻文で行ったこと。
@@@いつかいつかいつかと待ちしけふの月
@右は貞徳の弟子の北村季吟に師事した田捨女の句。芭蕉も季吟門だから、捨女と芭蕉は同門ということになるが、互いに知り合う機会はなかった。それはともかく、捨女などは貞門俳諧の機知を典型的に発揮した。そのために有名になったのである。
@ さて、さきの句は「けふの月」がどんな月かを謎解きとして表現したもの。どんな謎かは言わないでおくが、この句の謎がもしわからないとしたら、その人には俳句的センスがないかもしれない。
@捨女の句では六歳で作ったという
@@@雪の朝二の字二の字の下駄のあと
がことに知られるが、これも雪の路面についた下駄の跡を数字に見立てた機知。とても単純だが、その単純さが愛されてきたのだ。
@最近、気づいたのだが、芭蕉の句だつて、たいていが以上のような機知、ことに謎解きを秘めている。とびきり有名な
@@@古池や蛙飛び込む水の音に
しても、これは、「古池とかけて何ととく?」、その心は「蛙飛び込む水の音」、という構図。俳句の基本的な作り方である取り合わせとは、まさにこの謎掛けの形式だ。
@正岡子規の
@@@柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
@@@糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな
なんていう句も、根っこのと二ろに謎掛けがある。「柿くへば鐘が鳴るなり、の心は?」「その心は、法隆寺」ということだし、「糸瓜咲いて」の心は「疾のつまりし仏かな」ということ。
@謎掛けというのは、一種の遊びであり、また、相手への問いかけでもある。遊びつつ、自分を開いて他者に通じるという点が、この謎を掛けて解くという表現の特色だと言ってよいだろう。
@俳句という表現において、句会という場が成立している根拠も、この謎掛けと謎解きにあるのではないか。つまり、句会の参加者は謎掛けという形で作者になり、そして謎解きというかたちで読者になるのである。 というわけで、貞門俳諧はわたしたちの俳句の豊かな源泉。その泉は今なおとくとくとあふれている。
Written by Gyougen